呉式太極拳教室「太極の小径」ができるまで

「100歳まで自分の足で歩ける」身体を作るための呉式太極拳教室、「太極の小径」開設までの物語です

まずは自己紹介です ー 開設準備を始めることになったきっかけ

2021年の年末、いくつか悩み事がありました。

  • ビザの切れるまでの後1年9ヶ月で必要なものを全部学び切れるのかという焦り。そしてもっとビザを更新できる手段を考えなければならないのではないかという思い
  • 最低限の支出でこの2年間やってきたことからくる節約疲れ
  • 学校のオーナー及びそのとりまき連中との確執

2019年夏頃、一つ大きなプロジェクトを終えた後は、シンガポール就労ビザが更新できなくなるまで仕事は最低限にして、太極拳の習得に集中しようと決めました。収入は学校から多少のお金が出るだけで、それまでの仕事からの貯金に頼る生活の始まりです。貯金はそこそこあったので、生活が極端に苦しかったわけではありません。

 

そんな思い出約1年半頑張ってきて、自分の太極拳もなんとなく様になってきて、教える技術もついてきました。そんな中、悩み事が沸々と生まれてきました。

 

ある晩、ぼーっと寝転がりながら天井を眺めていたら、ふと思いました。もう一度宮勤めをすれば、全ての悩みが一気に解決するのではないかと。会社に所属すればビザを自分で更新する心配はなくなります。収入があれば、もう少し自由にお金を使えるようになるし、仕事が忙しくなったことを理由に学校ともそれなりの距離を置けるようになります。教えることを最低限にして、師匠にレッスンをつけてもらうことに集中すれば、全てが丸く収まる、と思いました。

 

早速転職情報サイトを見たら、偶然にも、2社、日本語と英語が両方ともネイティブ並みに話せて、営業経験のある人の求人広告がありました。2社とも、数年後には日本支社の立ち上げを目指しているということでした。自分の経歴からして、少なくともどちらかには雇ってもらえるだろうと感じました。しかし。。。。

 

両方とも2次面接まで行ったのですが、その先まではいけませんでした。残念ではありましたが、ふと思い返しました。なぜ太極拳教室をやろうと思ったのかを。

 

そのまま採用が決まっていたら、一度自分が離れることを決めた場所に、ちょっと悩み事ができたらからといって戻ってしまうところでした。お天道様が、「こらこら、違うだろう、そっちに進むんじゃないよ」と言ってくれた気がしました。

 

最近思うのです。自分の周りで起こることは、全て理由があって起こるんだと。昔だったら、採用される可能性が高いと思う2社のいずれからも断られたら、かなり精神的に荒れたと思います。きっと深酒もしたし、周りの人に愚痴もたくさんこぼしたと思います。今回は、こんな風に思えたので、不思議とやり過ごすことができました。

 

そして、悩みを吹っ切るもう一つの方法を思いつきました。それが、自分の学校の開設時期を決めてその準備を始めることでした。

 

開設時期を決めて、それまでに学べることでとにかく教室を始めよう、と覚悟ができれば、ビザの更新に固執する必要がなくなります。シンガポールを離れる時期が決まれば、使える予算ももっと明確になります。必要があれば迷わず使えるようになります。そして、日本に帰ることで学校とも距離が保てます。

 

2021年の年末はこんなことを考えながら年が暮れていきました。

 

以上、4回にわたって自己紹介をしてきました。お付き合いありがとうございました。太極拳教室を始めるのに足りる人物だという自信はありませんが、とりあえず前に進み続けます。

 

次回からは、開設準備としてどんなことから手をつけ始めたかを書く予定です。

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まずは自己紹介です ー 日本での教室開設を決めた理由

せっかくシンガポール太極拳を学んでいるんだから、シンガポールで教室を開くのもよいかもしれない、と思ったことがないわけではありません。でも、無理だという結論に辿り着きました。

 

私が学んでいるのは、「伝統」太極拳。一番最初に思ったのは、外国人から自分の文化の伝統を学びたいと思う人はいないだろうということ。日本の伝統文化を日本人以外の人から学ぶのに抵抗を感じる人は少なくないと思います。

 

外国からいらした方で日本の伝統文化を継承できるぐらい頑張られている方は、日本に対する理解が日本人並み、あるいはそれ以上に深いなっているのだと思います。日本に完全に住み着いて、言葉も自由に操れる、そんな方なのではないかと想像します。

 

まず、永住の場所ですが、私の場合、ビザの関係でシンガポールに永住することは諦めています。なので、この地に骨を埋めるという覚悟ができません。永住権の申請を2度ほど行ったのですが、いずれも却下されたため、もうこれ以上追いかけることはやめました。

 

言葉の問題も大きいです。中国語がきちんと話せもしないで、中国伝統文化を継承するなんてあり得ない話だと思います。シンガポールは、多くの場合英語で話が通じてしまい、中国語を話す機会がそれほど多くありません。中国語の習得は何度も試みましたが、太極拳で学ばなければいけないことも多いため、これも追い求めるのをやめました。今は、資料がしっかり読めればよいということで、読解の練習だけを続けています。

 

そんなわけで伝統文化としての太極拳継承を諦めたのと同時に、シンガポールでの教室開設、という可能性も否定しました。シンガポールで駐在の日本人の方々を相手に教室を行うという選択肢もないわけではないのですが、駐在の方々は数年で帰国もしくは移転してしまうため、じっくり教えることはできないため、これも難しいと考えました。

 

シンガポール以外の海外で教える可能性も考えました。マレーシアは中華系の方がたくさん住んでいるので、シンガポールと同じ理由でボツ。インドネシアもマレーシアほどではありませんが、同じ理由に加えて、現地の言葉ができないため、ダメ。タイは、タイ語で教えることができなければダメ。タイは前回就労ビザをとった時も結構苦労しました。

 

こんな書き方をすると、日本で教えるのは消去法で決めたのかと思われるかもしれません。でも、積極的な理由もあるのです。日本は世界で最も高齢化の進んだ国。高齢化社会に対する準備、サポートを提供するには最も適した国です。

 

ちょうど今持っている就労ビザが後1年半で切れることになっています。今までなんとか工夫して延長を図ってきました。今回もコロナを理由にしてもう一年ぐらい延長をすることはできるのではないかと思っています。

 

あと1年半で全てのことが学び切れると思っているわけではありません。でも、ビザのこと、資金のこと等々を考えるとそろそろ限界かな、って思い始めたのが去年の年末。そこでちょっとした事件が起きました。

 

続きは次回に。

 

 

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まずは自己紹介です ー 呉式太極拳本格トレーニング開始

2016年に師匠がご自分の教室を開かれました。この教室は、呉式太極拳のみを教えるものでした。他の流派は教えません。私の呉式太極拳のトレーニングが本格的に開始されました。

 

教室の開設とともに、核となる生徒を確保するため、と言う名目で、弟子の募集がありました。もっと学びたいと言う思いが強かったので、躊躇せず弟子になりました。ティー・セレモニーを経て、正式に弟子になりました。

 

弟子になってからしばらくして、師匠は先代から個人レッスンをつけてもらっていたことを知り、自分も受けたいとお願いして、個人レッスンが始まりました。週に2から3回、1回1時間です。2022年の現在でもまだ続いており、総時間数は750時間を超えました。個人レッスンでは、108式套路をより正確に、要領通りにできるよう、ステップ毎に修正を加えていくことを中心にしてきました。現在、108式套路を初めから最後まで修正する作業の作業の9巡目です。師匠も先代から9巡目まで受けたとおしゃっていたので、数だけで言えば並んだことになります。

 

弟子になった当時、師匠に言われたのが、一人前になりたかったら、套路を5000回やりなさい、と言うことです。呉式の108式套路は、初めから最後までやり通すと40分強かかります。1日にできる回数には限りがあります。時間的な制限はもちろんですが、毎日3回以上やり続けると疲労が抜けなくなってきます。このブログを書いている時点で、4759回。今年の夏には5000回を達成できる予定です。

 

個人レッスン、自己練習、教室への参加を続けて、初めは単なる踊りだった動きが少しずつまともになってきたのは、弟子になってから2年後ぐらいです。この頃から少しずつ、教室で教える機会を持てるようになってきました。最初は、準備運動の掛け声をかけるところから始まりました。そして、套路を先頭になってやること、師匠が教える時にデモをやることも徐々に増えてきました。

 

2019年に、さらに奥深くまで学べるようになるために、入室弟子になりました。

 

 

この頃からコーチとしてグループレッスンを任されるようになりました。2020年には、プライベートレッスンを任されるようになり、今では、レッスンを提供した総時間数は3000時間を超えました。

 

教えるのって本当に難しいです。動きの概要を掴んでもらって、ある程度動けるようになったらちょっとずつ正しい方向に修正をしていきます。何か新しいことを学ぶとき、多くの場合、自分がすでに知っている知識に照らして理解をしていくのだと思います。学んでいる動きが自分の知っている動きに似ていると、その動きと何が違うか、と考えながら覚えます。人によっては、この主観による理解が「正しいはず」と思ってしまいます。そうなると、こちらが修正を加えようとしてもなかなか治りません。レベル毎にどこまで治したら良いかと言うのも難しい問題です。

 

プライベートレッスンを受けていた生徒さんで、パーキンソン病のため、体が思うように動かない方がいました。基礎トレーニングを通じて、地道にレッスンを重ねた結果、かなり普通に歩行ができるようになりました。これをきっかけに、きちんと歩くために基礎的なトレーニングを施せないかと考えるようになり、本校のミッションである、「100歳まで自分の足で歩く」ことをサポートする、ことを掲げることにしました。

 

シンガポールに残って当地で教室を開くことを考えた時期もあったのですが、そうしないことにした理由は次回書くことにします。

 

まずは自己紹介です ー 呉式太極拳と出会うまで

まずは、どんな人が太極拳教室を作ろうとしているかをお話させてください。

 

太極拳歴は10年ほどです。決して十分な経験ではありません。巷にはもっと長い間研鑽を積まれてきている方々がたくさんいます。そんな諸先輩方を差し置いて教室を開けようなんておこがましいですが、私なりの目標があるので大目に見ていただければ幸いです。

 

太極拳を始める前は、自転車競技とマラソンをやっていました。競争を続けることと体力的な衰えから続けるモチベーションを保つことができなくなりました。

 

 

何か代わりに、残りの人生の間楽しめるものはないかと探していて出会ったのが太極拳でした。自転車に乗らなくなって、唯一の運動が朝の散歩になっていた時、中野区の掲示板で太極拳教室をやっているという張り紙を見ました。週に一度、体育館の一室で行われていた教室でした。そこでは気功や簡化24式、楊式48式、陳式などなどかなり色々な套路をやっていました。私は参加したことはありませんが、大会に参加している方もいたと記憶しています。この教室で、簡化24式をとりあえず最後まで学びました。この当時の私の太極拳は、まさに外面だけの踊りだったと思います。

中野区太極拳協会 鷺宮教室 【武術・健康】 - 基本情報

 

その後、陳式心意混元太極拳を学ぶ機会がありました。公民館の一室を借りて、週に一度教室は行われました。この教室では、気功と套路の動きの応用に力を入れていたと感じました。この時、太極拳の根源には、易経の知識がいるのだと言うことを学びました。

 

1年ほど陳式心意混元太極拳を学んだ頃、シンガポールで仕事をしないかという誘いを受けて、2度目の渡星をすることを決意しました。陳式心意混元太極拳を続けたいと思っていたため、先生からシンガポールで同門の方の学校を教えていただきました。

 

シンガポールでの生活が落ち着いた頃、教えていただいた学校に電話をしてみたところ、陳式の教室は空きがなく、呉式ならちょうど始められるクラスがある、と言われました。当時、呉式太極拳は日本ではあまり知られていない、第3の太極拳ぐらいの認識しかなく、他にいくあてもなかったため、陳式を諦めて、呉式の手解きを受けることになりました。

 

今の師匠との出会いはここから始まります。ちなみにこの学校は師匠自身の学校ではなく、他の方がやっている学校の間借りでした。中心としてやっていたのは、子供向けの武術指導で、大人向けの教室はその付属品。呉式はさらにおまけ、と言う感じで、学校としてはそれほど力は入れていない感じでした。

 

専用のスタジオはあったのですが、他のクラスと時間が被ったりすると、青空教室に追い出されることもしばしばありました。

 

この学校で1年ほど呉式太極拳を学び、108式套路をとりあえず最後までできるようになりました。できるようになった、と言っても、とりあえず外面的な動きを追えるようになっただけで、姿勢は曲がっているし、動きもロボットさながらでした。まだまだ太極拳って何?と言う問いかけに自分で答えのできる状態では全くなかったです。

 

この頃、師匠が自分の学校を作ることになり、私もそこについていくことにしました。ここから呉式太極拳のトレーニングが本格的に始まりました。2016年5月のことです。

 

長くなりますので、続きはまた次回に。

 

 

はじめまして、呉式太極拳教室「太極の小径」です

呉式太極拳教室「太極の小径」は、「100歳まで自分の足で歩ける」身体作りをサポートするための教室です。2023年秋の開業を目指して現在準備中です。

 

開校準備のプロジェクトを始めてから、そろそろ3ヶ月になります。今までしてきたこと、これからやっていくことをまとめながら、教室の趣旨、どんなことが学べるのか、どんなふうに学べるのかなどをこのブログの中で語っていきたいと思っています。

 

20年以上にわたる宮仕えの後、他の人に心から感謝してもらえることはないだろうかと色々と考えました。宮仕えの最中も色々な方々に感謝していただきました。システムを提供したお客様、一緒に働いた同僚、協力会社の方々、同じ方向に向かって仕事をしてる中で、目標が達成され、努力を讃え合い、お互いに感謝の念を持った経験はたくさんあります。

 

でも、それは「仕事」という生きるためにやらなければいけない枠組みの中だけの話ではないかという気がしていました。仕事から離れてしまうと、感謝の念だけではなく、ややもすると感謝をした人そのものさえも忘れてしまうことがよくあります。

 

本当に感謝されるには、「仕事」だけではなく、「生きていく」という作業の中で何かお手伝いできないだろうか、と考えるようになったきっかけがここにあります。

 

私の祖父は、「食べる」ということから人々の健康を考えた方でした。健康は「生きていくこと」、幸せに生きていくことに直結します。自分も何か健康に関わることができないか、と考えるようになりました。

 

そんな時に、「ロコモ」という言葉を聞きました。日本整形外科学会の定義はこんな感じです。

 

年齢を重ねることによって筋力が低下したり、関節や脊椎などの病気を発症したりすることで運動器の機能が低下し、立ったり、歩いたりといった移動機能が低下した状態を指します。」

 

太極拳を学び、修行を続ける中で、このロコモを減らせるのではないか、と思い、太極拳教室を開くことを考え始めました。

 

太極拳の実践者としての私はまだまだ経験が浅く、とても一人前とはいえませんが、今まで培った知識と経験でこの目的を果たすレベルぐらいまでには辿り着けたのではないかと自負しています。

 

太極拳をこれから学ぼうかと思っている方にはぜひ読んでいただきたいです。うちの教室の特徴や目指すところを知ることで、関心を持っていただけると非常に嬉しいです。

 

太極拳教室をこれから開こうかと思っているかたにも参考にしていただける内容を提供できたらと思います。どんな流派の太極拳であれ、周りの方々の健康に資するものだと信じています。太極拳をもっと身近なものとして広めていく過程の情報交換を色々な方としていきたいと思います。

 

さらに、ひょっとしたら、将来私の思いに共感して、私が修行してきた呉式太極拳を後世に伝えたい、という方が万が一現れた時、どんな思い出私がこの教室を開くことを決め、準備を進めたかを知る機会を提供できたら、この上なく幸運です。

 

週に一度ぐらいのペースで記事を公開していく予定です。教室の準備と並行して、引き続き呉式太極拳シンガポールでの修行は続いています。そちらの内容は、こちらでご覧ください。

 

 

ご質問、ご意見があれば、気楽にご連絡いただければと思います。このブログを通して、多くの方とお話をできるきっかけができることを期待しています。